たまには真面目に語る

本日付の読売新聞・社会面に少年犯罪に関するコラムが掲載されていたが、この加害者少年が犯した罪は当然許されるものではない。だけど、そこに至るまでの心の闇に関してはシンパシーを感じる。
何事にも一生懸命頑張っていたのにそれがうまく報われないことや、心に葛藤を抱えていてもそれを誰にも打ち明けることのできない辛さなど、かつて教育関係の仕事をしていたときの経験や過去の自分の経験から様々な共通点が得られるのだ。親からの期待にこたえられない苦しみを誰にも言えず、一人で抱えてしまいこんでしまったがために、このような事件に発展してしまったことに対しては何とか防ぐことができなかったものかと他人事ながらもそう思えるのだ。
ただ、それに引き換え、この少年の気持ちを全く理解しない県警幹部の無責任な発言には怒りを禁じえない。そんなことだから「警察は不祥事を起こすことしか能がない」とか言われんだよ。お前が県警幹部であることのほうがよっぽど不可解だ。こんな人の心の痛みが分からない人間(しかもよりによって警察官)がいるようでは、少年犯罪はまた繰り返されるだけだ。
話は変わり、別に人生で負け組になったっていいじゃないか。負け組だからこそ分かることや見えるものだってあるんだから、そこから何を得られるかを見つければ、負け組だって悪いもんじゃないよ。もっとも、上記の県警幹部のような無理解な大人がいる限りは「負け組=悪」という図式は変わらなそうだけどね。