桜(川本真琴)

石井琢朗選手、2000本安打おめでとうございます! ハマのリードオフマンとしてずっと応援している身としては嬉しい限りです。このまま2500本ぐらいまで頑張ってください。
とは言え、今日は横浜は負けてしまったのね。愛敬の不敗神話はかなり強力みたいで。で、今度は札幌ドームで日ハムとか。見に行きたいけど、ちょっと厳しいかな。

さて、話は変わり、桜の花を見ても心が和まないほどに精神が荒んできそうです。でも、五月病とは違うみたいなんだけどな。そんな矢先、テレビを見ていたら、ある中学生のコメントにムカッと来てしまった。
問題 そのコメントとは「人間って、どこか別の自分を演じているところってあるじゃないですか」というものですが、どの点にムカッときたでしょうか?
とまぁ、勝手に問題にしてしまったが、答える人もいないのですぐさま解答。答えは中学生ふぜいがそんな大人びたコメントをするな……ということではなく、語尾の「あるじゃないですか」である。尚、このコメントに関しては的を射てると思っているので、共感はできる。
ただ、ここ最近、この「じゃないですか」という相手に反論を許さない半強制的な同意の求め方をする口調に違和感を覚えているのも事実(ちなみに、「私って○○じゃないですか」という発言は、何年も前からそんなことを言う奴の人格を全否定するほどに嫌っている)。
去年、『問題な日本語』を読んだときに「私って」付きの方は相手に不快感を与えるというコメントを見て、溜飲を下げたんだけどねぇ。また蘇ってきたよ。
単に自分が「〜ってあるじゃないですか」、「〜って思うじゃないですか」など、その発言をした人物の主観を押し付けられるのが嫌いなだけなのかもしれない。もしくは、自分の考えが受け入れられて当然だという自己受容の強さが気に食わないだけか。
何となく「俺は神なんだから、俺の考えは無条件で受け入れろ」というニュアンスが言葉の節々に感じられるのは気のせいなのだろうか。で、天邪鬼な自分はそんな言葉を受け入れたくないがために、違和感を覚えているとも考えられそうだ。
とにかく、こっちとしては相手の一方的な半強制的疑問符に「YES」と答えることは「♪できない できない できない」ってことで。