名もなき詩(Mr.children)

ここ数日、「イン・ザ・プール」(奥田英朗)を再読していたのだが、テンポがいいから、何度読んでも面白い。あと、改めて思うことは、あるがままの心で生きようとするのは本当に難しいことだということ。
誰の目も気にせず、自分が思い通りに生きることができれば、これほど楽な人生はないわけで。でもって、うまく行かなくても誰かのせいにしてやり過ごすことができれば、それはそれで楽なんじゃないかと思う。
でも、それがうまく行かないから、心の中にひずみが生じて、どこかおかしくなっちゃうんだよな。で、やがては身体にも異常をきたすわけで。

……と、ここまで考えた時点で、あることに気付く。
ここ数年、傍から見ると痛々しいほどに鬱電波を流してきた割に、まったく身体に異常をきたしていないことに。
元々ストイックな性格であるせいか、多少不自由な生活でも何とかしてしまう体質になっているらしく、体重が若干減った以外に体はどこも悪くないのだ。強いて言えば、先日自転車で転んだときの手首の痛みがまだ残っている程度か。
プレッシャーで下痢気味になることもなく(寝冷えでちょっと下痢気味だったが)、ケータイ依存症でもないから腱鞘炎になることもなく、陰茎強直症でもないからね。ただ、自意識過剰ではあるけど。
ただ、この自意識過剰も客観的な視点で見るようになると、意外と冷静に対処できるようになってしまった。これもステルスなのが功を奏しているのか。
そんな訳で、うつ傾向ではあったけれども、病院に行くほどの病気ではなかったという結論が出てしまった(まぁ、実際に病院に行くほどの病気であったとしても行かないけど)。ちょっと心配性の度合いが強かっただけ。もしくは、普段健康であるがために、ちょっと怪我したり体調を崩すとどうしていいか分からなくなって、パニックになっただけなのかもしれない。

知らぬ間に自分らしさの檻でも作って、その中でもがいていたのか。自分の感情をずっと押し殺していたから、自分らしさなど消し去ったはずだったのに。でも、これも客観的に考えたら、他人が勝手にイメージしたものに照らし合わされていただけのことなんだよな。やっぱり、自分らしい自分は存在していたんだ。
とかまぁ、そんなことを考えていたら、妙に気が楽になってしまいました。下手に飾らず、下手にうまく見せようとせず、ありのままの自分でいればさえいいのだから。そうすれば、今まで損した自分の人生もすこしは取り返せるかもしれないな。現に、今日はちょっと取り返すことができたからね。
まぁ、肩の力を抜いて生きていくとするか。今まで身につけていた鎧は重すぎたみたいだし。